政治と経済
ナチスと障害者の安楽死プロジェクト - 医療費削減と優生思想による国家的なリストラ
Glass Story
医療費の増加の打開に
長引く不況と巻きつくように漂う閉塞感。格差や病気は蔓延し、医療費は増加の一途をたどる。
これから年々医療費は増えていく。
積み重なる医療費や福祉に掛かる費用のために、すでに心身ともにボロボロの国民が、「総活躍」で働き、必死に税金を収める。
余裕の失われていった国民同士で、「なぜ彼らのために私たちが……」と諍いが生じ、不満が顕著に溢れ出る。
自己責任だ、と切り捨てる風潮が高まる。
政府は、この不況と不満を解消するために、さらなる「借金」や「大言壮語」、あるいは「誇り」で刺激しようと努める。
優生思想と障害者の安楽死
ところで、この状況は、ナチス政権下のドイツと類似性があると僕は思う。
当時ドイツは、第一次世界大戦の敗戦で、巨額の賠償金を課せられ、国民に屈辱的な気分が広がっていました。
それに追い打ちをかけたのが、1929年の世界恐慌。
国民の実に三分の一もが、仕事を失っていました。
ドイツ民族の優位性を強調し、ドイツ帝国の復権を約束したヒトラーは、自信をなくしていた国民の心を捉えるのです。
軍備拡張、プロパガンダ、オリンピック誘致などで国民の「誇り」を刺激したヒトラーは、一方で社会保障を大幅に削減していく。
社会には、「障害者は生きているだけで金ばかりかかる、無価値な存在だ」という空気が蔓延していった。
やがて、ナチスは、のちにホロコーストと呼ばれるユダヤ人大虐殺の「リハーサル」として、この「無価値」な障害者たちを、ガス室に送った。
医療費の削減に加えて、「劣った遺伝子」をドイツから断つ優生思想の視点からも、障害者の「安楽死」プロジェクト、T4作戦が、合理性に基づいて実地されることになった。
T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」を短縮したもので、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である
これは、経済合理性を希求する、ある種の国家的な「リストラ」と言ってもいいだろう。
日本の未来
ひるがえって日本でも、今後、少子高齢化に加えて、貧困や、精神疾患、様々な病気、障害で苦しむ人たちは増え、社会保障費がさらに必要になってくるだろう。
そもそも、精神疾患を筆頭に、この病気や障害の増加というのは、経済至上主義が遠因にあると僕は思う。
しかし、その膨れ上がっていく医療費のために、今はさらに経済至上主義を押し進めていこうと目論んでいるようだ。
その結果、貧困と病気によって生じる医療費の増加と、高齢化も相まった労働力の減少で、袋小路と悪循環に陥っていくだろう。
そして、いずれは「リストラ」の必要性が出てくるかもしれない。
改憲による政体の根本的な改革のめざす方向は「日本のシンガポール化」であり、さらに言えば「国民国家の株式会社化」である。つまり、「経済発展」を唯一単独の国是とする国家体制への改組である。
また、同時に、社会に「自己責任」の価値観を植えつけていくことで「見殺し」の空気も蔓延していく。
こっちだって必死に頑張ってるんだ。頑張らなかったやつが悪いだろ。
そんなやつらのために我々は身を粉にして働いているんじゃない、放っておけ。
場合によっては「安楽死」も、財政の「無駄」の排除、コストカットに繋がるし、当事者も苦痛から解放されるのだからWin-Winじゃないか、きわめて合理的だ、と。
ナチスは、プロパガンダ映画で、「彼らの医療費で、あなたたちの家が買えた」と謳った。
住民たちは、「安楽死」が実地されている建物から立ちのぼる黒い煙を、おぼろげな眼差しで、どこか遠くの世界の出来事だと目を背けるようになっていった。
今、この国の電光掲示板に流れる「人身事故」の文字と事務的なアナウンス。
その”インフォメーション”に苛立ち、「死ぬなら誰にも迷惑をかけずに死ね!!」と陰で呟く追い詰められた会社員たちと、僕は、どこか似たような狂気と悲しみを覚える。


